あゆ、40作目のシングル「BLUE BIRD」はいつになく聴きやすく、メロディラインも詩の流れも鮮明で、もっと売れてもおかしくない楽曲だ。
作詞が本人で、作曲が
D・A・I 、アレンジが H∧L、というあゆ定番の最強力な組み合わせのおかげか、40作目にふさわしく、かつ全ヒット曲の中でも記憶に残る度合いが高い楽曲に仕上がった。
カップリングの「Beautiful
Fighters」も久々にひたすら明るく疾走感に満ちた曲で、サビがすぐ頭に入りアレンジも軽妙で、「BLUE
BIRD」に続けて聴くと元気が出てくる。 ただ、1998年のシンガーデビュー以前から彼女を知っている身としては、久々に佳曲なのに、多種類販売(3種類)しなければならない状況はいろいろな意味で寂しい。
しかしこの「BLUE
BIRD」は浜崎あゆみのターニングポイントを暗示している気がしてならない。
その理由は、「BLUE BIRD」の歌詞の中に「居場所」という彼女のキーワードが、これまた久々に深い意味をたたえて出てくるからだ。
「言葉は必要なかった 居場所はいつもここにあった」。
思い出すのは「A
Song For XX」(1999年)にあった「居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待できるのか分からずに」という歌詞だ。
それから7年しての答がまさに「青い鳥」はそばにいた、ということになる。
彼女はとにかくスターになりたかった。そのためには、早くから出身地を離れて上京し、かなりなりふりかまわず活動していた。
しかしシンガーとしての位置を確立していくうちに彼女は、自分がこれでいいのか、と思い始める。芸能界/音楽業界に自分の「居場所」を見つけられなかったのだ。だから「A
Song For XX」の歌詞はリアルなのだ。
それでもレコード会社(avex)の稼ぎ頭になってしまう中で、ますます、「あゆで儲ける」戦略にほんろうされるようになる。
その時彼女は、自分の「欲望」を貫く道を次第に選択し始める。この「欲望」には、好きに曲を作る、好きに
PV を作る、好きにライブをやるといったことも含まれる。彼女のスキャンダルに「わがまま」なイメージがつきまとっているのはそのせいだ。
だがそうしなければ、社運さえ背負ってしまう「あゆ」という商品を自分で支えきれなかったのだ。自己防衛策、と言ってもいい。
そして自作の詩では、ラブソングよりも、彼女の人生観や生き方を反映させたものが圧倒的に多くなってくる。
この「BLUE
BIRD」にしても、「青い空を共に行こうよ」「もしも傷を負ったその時は 僕の翼を君にあげる」という歌詞は、明らかに恋人よりも広い範囲にあてはまる。人生の伴走者を求めているのだ。
カップリングの「Beautiful Fighters」も象徴的で、芸能界/音楽業界に自分の居場所を見つけるために彼女がやってきたことは、「闘い」と呼ぶのにじゅうぶんふさわしい、と考えると、その総決算のような歌詞だったりする。
「やってられないって日は 正直あるけど」「今夜はほんの少し 泣いたりしたけど」乙女たちは戦い続ける。「だって欲望達は 完全には満たされない事を知ってる」。そして「癒されぬ傷口は 時々開きながらも やがてまた閉じる」。
曲がとびっきりハイテンションなので、超重い歌詞に引きずられずに聞き流す事ができる仕掛けになっているところにも浜崎あゆみの「意志」を感じる。これは、ENDLICHERI☆ENDLICHERI
の「これだけの日を跨いで来たのだから」にも通じる点だ。
芸能界/音楽業界で生きていくこと自体、生傷が絶えないし、たくさんのトラウマを抱えることになる。そのトラウマに違う人生を選び直さざるを得ない者もいれば、人生の一部をムダにしてしまう者もいる。
もしかして浜崎あゆみは、自分の「居場所」や芸能界/音楽業界で生きていくことに、何かの結論(少なくとも「中間まとめ」)を出したのではないか。
彼女は、誰もそういう言い方をしないけれど、アイドルの地位を確立してから、シンガーソングライターになろうとしてきたのではないだろうか。それを勧めた周囲の人間もいたと聴く。
ならば堂本剛の歩もうとしている道と共通点があるのかも知れない
実は個人的にこの「BLUE
BIRD/Beautiful Fighters」は何年ぶりかに、あーやっぱりあゆの曲はいいなぁ、と思えた曲で、ここ数日は毎日聴いている。このあと彼女はどういう「闘い」をしていくのか、どう生きていくのか。見守り応援するしかない。