ENDLICHERI ☆ ENDLICHERI のセカンドアルバム「Neo
Africa Rainbow Ax」は、「すっきりと」聴けた。「Coward」よりも納得がいった。
ぶっちゃけて言えば、イッキに莫大な数の人がこのアルバムを買いに走るほどポップではない。しかし
ENDLICHERI ☆ ENDLICHERI の世界がとても鮮明になってきたと感じた。何かのきっかけで、世界が1mm
以上ドーンと動くかもしれない可能性を感じる「発展途上」「現在進行形」盤だ。
14曲(通常盤)のうちインストゥルメンタルが4曲もあることからもわかるように、今回は「すっきりと」バンドサウンドになっていて、ファンクというベースにありとあらゆる種類の音楽を溶け込ませ、エンドリミュージックという表現の形を固めつつある、と感じた。
ファンクは、どんな思いつきでもどん欲に取り入れていくところがひとつの楽しさだ。その点で、14曲それぞれのカラーは見事に違っている。ところがそれでいて、やっぱりベースはファンクだから、バラバラ感はなく、まとまった感じがするのでとても聴きやすい。
おまけに詞まで含めて聴いていくと、14曲に「すっきりと」した流れがあることがわかる。
まず「ENDLICHERI
☆ ENDLICHERI 2」は、60〜70年代に米国で大活躍したファンクバンドのスライ&ザ・ファミリー・ストーンに在籍し、グループを離れてからも人気を維持し、プリンスのツアーなどもサポートしているラリー・グラハムがベースとボーカル参加している。
これはすごいことで、ENDLICHERI
☆ ENDLICHERI をラリー・グラハムがファンキーだと感じたことに他ならない。冒頭の「いち、に、さん、し、ご」もラリーが言っているそうで、この曲で「気分はもうファンキー」になるのである。
軽やかなリズム、思いもよらぬ展開、冴えるギター……聴き込むほどに音たちの魔法にかかっていく。 続いて「White
DRAGON」では「時代の愛が歪んでいる 誰も救おうとしていない だから逃げようとはしない」と、現実にきりりと立ち向かうことが宣言される。
「傷の上には赤い
BLOOD」はさらに現実を直視し、傷つけずにはいられない現代の私たちに対して「罰当たりと云われてみてもいいんじゃない?」と問題提起する。視点を変えればいろいろなことが見えてくる。
「Sparkling」で今一度ファンキーを確認してから「FISH
DANCE」から自分自身を歌いつつ、堂本剛→ケリーさんの想いを明らかにしていく。「ぼくに逢いたいから ぼくになりたいから 死なないって決めている」……これ、いい言葉だなぁ。
「DARLIN'」と「宇宙の雨はね
二人で」では、官能・純愛・欲望と、「何でもアリー」の「愛」の多彩さが怖いくらいに的確に表現される。 ここでインストの「NARA」になるのだが、ケリーさんの言葉が入って、そのまま流れるように「空が泣くから」へつながる。ライブと同じ展開だ。アルバムでは歌詞カードとは別にメッセージはブックレットの冒頭におかれていて、特別な意味を与えられている。「ひとのままで終わるな」。
「空が泣くから」は、今私たちに必要なものが「水」であることを力強く訴える。「大宇宙でありたい」……私たちの胸に広がる宇宙が無限大で、一人ひとりの宇宙が響きあってほしい、と読みかえることもできる。
「脳」に至って、「たった1mm
だけ」でも、「ひとの心」が、「世界の想い」が、「あたしたち」が、「あたしたちの宇宙」が動いてほしい、と歌われ、ケリーさんのめざすところが感じられてくる。これが「呼びかけ」ではなく、「あたしが生きてるって
音」だというところには、私たちが生きる意味そのものが問いかけられている。
ケリーさんの決意は並々ならないものだと感じる。というのは、「White
DRAGON」に続いてこの「空が泣くから」「脳」でも、「逃げることもしない」「引返さない」といった歌詞がくり返されるからだ。「脳」(人間の感性?)を信じて、後戻りはしないのだ。
そして「Take
U 2 The Rainbow Star」ではすべて英語詞で、レインボースターへ連れていってあげる、愛のために泣く時だ、とシンプルに歌い上げる。
しかし現実も厳しい。ムカツく人に怒りを感じてしまう。でもいつかそれを優しく包み込めないものか。模索が続くことを示唆するように「Blue
Berry -NARA Fun9Style-」が置かれる。
それにしても、「ソメイヨシノ」のカップリングだったこの曲がよりファンキーになり、ケリーさんのヴォーカルがより巧みにかつたくましくなっていることが鮮明にわかる。特に微妙な声の変化、チラリと見せる「遊び」など、声という表現手段をとことん極限まで使いこなすようになっているのに舌を巻く。彼のヴォーカルはどこまで進化していくのだろう。 最後に「Rainbow
wing」で歌われるのは、愛の循環だ。「僕は僕だけ」でも「時空を捉え」れば恐くない。「いつの日にかは 七色
零す(こぼす)」。「光と」なる。「逢いに行こう
愛に生こう」。
私たちは孤独かもしれないけれど、だからこそ胸の宇宙を広げて愛でつながり合おう……。ここで終わらないところがいい。最後にまたインスト曲「The
Voice In MyHeart」。言葉では語りつくせない部分をこの「私の内面の声」=音たちから感じとってくれ! というメッセージだ。 これはもう壮大な叙事詩である。そしてファンクという軸が鮮明になった分、バンドサウンドが確立した分、感じるきっかけさえつかめば、本当にたくさんのことを感じとれるアルバムだ(だからここに書いたこともあくまで私が感じたことだ)。
私たちは「ひとのまま」から脱することができるだろうか? ブログをやっていてさえ、自戒も含めて、傷つけあう「気」が飛び交うのを感じて哀しくなることがある。それが今の「ひと」だ。ケリーさんのジャケットの笑顔が、「すっきりと」闘いを決意し覚悟を決めた顔に見えるのは私だけだろうか。