東京はお台場にあるエンドリ・ウォーター・タンク2で行われた「ENDLICHERI
☆ENDLICHERI presents Neo Africa Rainbow Ax FUNKY PARTY
2007」の初日(3月16日)に行って来た。
今回うれしかったのは、男性の姿が目立ったこと。それも、恋人にいやいや連れて来られたのではなく、男同士でグッズも買って、シャウトやダンスもノリノリでやっている“デュオ/グループ”がけっこう見られた。
ライブが始まりそうになるとケリーコールは出るし、MC
になるとさっと静かに聴くモードになるし、オーディエンスも、このライブを楽しむために大事なことを心得てきたみたいだ。みんなとっても楽しそうな顔をしていた。
そんなオーディエンスの「気」がよかったからか、あるいはケリーさんの「気」が上々だったからか、MC
は破格に楽しかった。
2006年の場合、ファーストセッションでは、めちゃくちゃしゃべったが、もう必死に懸命に
ENDLICHERI ☆ ENDLICHERI を説明しようとしていてあわただしいほどだった。一転してセカンド・セッションでは全くしゃべらなくなる。そしてサード・セッションでは、アンコール時にまとめてしゃべる形になった。
それが今回は、本編中も3回、アンコール時は「Rainbow
wing」の前後に2回。1年前同様たくさん語った。
しかし1年前とは根本的に違っていた。言葉を発する時に大きな「余裕」があった。無理なところや肩ひじ張ったところがなくなり、おどおどしたところがちらちら見られたのが落ち着いて、こちらもリラックスしてメッセージを受け止められた。
ぶっちゃけて言えば、ユーモアがあって「お茶目」なのだ。
MC のほとんどは、会場全体の照明を落として話された。つまり、ケリーさんの声だけが聞こえてくるのである。現時点では、これがいちばんしゃべりやすく心地よいとのこと。
2006年ライブでもその先駆けがあったのだが、「いっしょの部屋に寝てるみたいに」気楽に話せるのだという。それを今回は徹底した。暗い中でぼそぼそと、細切れ気味の声だけがいつになく明るく響く。
だから、語り切らねばならないところはたたみかけるが、一息つきたいところではおどけて見せてくれる。幼児語がマイブームのようで、「許ちてくだちゃい」「〜ちまちょう」……オーディエンスに受けると「そうか、何でもかわいく言えばいいんだ」。
みんなで「大宇宙防衛軍」になりましょうなんて発言もあった。一人ひとりの内面にある「宇宙」を知ることで、つながろう、「愛」と「宇宙」を護ろう、というメッセージの中にさらっと笑いをとるプロセスがさりげなく入るのがすごい。「マイクでセクハラになっちゃうから」なんてセリフも……。
要は
ENDLICHERI ☆ ENDLICHERI がここまで来たことで、自信がかなりできてきたことは確実だ。 MC
でくり返していたのは「僕の宇宙を見せてあげるから」という言い回し。その宇宙に浮かんで「感じて」ほしいのだ、とも。浮かんできた感情がまた、それぞれの人の「宇宙」を知ることであり、それをぶつけ合う中で「愛の循環」をしたいと言う。
それでも彼が見せた自分の宇宙に入ってきてかき回して傷つけて行った人もいたという話や、何気ないひとこと「いろいろ言われるけれど」に、彼がどれだけ誤解されているかが示されてもいて、まだまだ「不完全」さや窮屈さを感じていることも確かだ。
そして「愛す」ことと「愛される」ことを両方揃えたい、という意味のこともしきりに言っていた。例えば「大切な人にやさしく愛していると言って、愛されていることを感謝して」。これは当然のように「生きていられることを感謝して」につながる。
魂は進化し続ける。だから少しずつであっても、楽しく騒いでいたりしても、自分の中の「宇宙」に気付き、「自分らしく」「愛」を発揮していけるにちがいない。そうして確実につながりたい……。
今回、ケリーさんは何度も何度も投げキッスをした。それを空騒ぎして受け取るのではなく、こちらはどんな形でそのキッスを投げ返せばいいのか、を考えたい。
まさに魂が揺さぶられるようなヴォーカルやギターに酔っても、きっとこのお台場セッションの間でも、そしてそのあとも、ケリーさんは進化または変化し続けるのだろう、と思わせるライブであることがすごい。事実2日目の土曜日でさっそく変化があった、と聞く。
新しい文化の誕生にどうしてもつきまといがちな「無理解」もあるだろうけれど、いろいろなハードルを超えて、このままずんずん、と突き進んでほしい。
そしてそのためには、私たち自身がケリーさんといっしょに自分の中の「宇宙」を理解して、「感じ合う」時間を増やしていくことだ。その「気」がケリーさんを、そして私たちを変えていく。