それにしても驚いた。どうしてライブの前に劇が2本もなくちゃいけないんだろう、と半信半疑で
DVD を見始めて、すぐに劇に見入ってしまった。
2本の劇を見終わった時には、画面を追って観ているあいだ続いた緊迫感から解放されて、ふーっと息をつき、途中トイレに立つのもためらわれるくらい圧倒された自分にびっくりした。
すごかったのはテーマのシリアスさだ。どうして人は生き、人は死ぬのか。
自殺と戦争をテーマに、「生きろ」「生きようよ」といくら叫んで励ましても死にゆく人と、死地に直面しても生きてしまうあるいは生き抜いてしまう人とが描かれる。人間の弱さと強さ、そして生死にまつわる不条理がしっかり訴えられている。
ストーリーに若干の無理はあるにもかかわらず私が引き込まれたのは、ウエンツと徹平のあまりにひたむきな演技である。「熱演」なんて言葉では到底語りきれない。この若さでここまでパッションを持てることがすばらしい。
劇の緊張感から解放されたエネルギーは、ライブで爆発する。納得である。シリアスなテーマを胸に
WaT の音楽を聴くと、そんな矛盾をはらんだ社会でもいっしょに生きていこう、とエンパワーメントされる。
スタイルもTシャツとジーンズ。そのラフさがかえってふたりのエネルギーをひきたてる。どの曲も、アルバムで聴くより格段にテンションが高いから、アルバムではやや目立たなかった曲もキラキラと輝いている。
しかしこのふたりは、どうしてここまで真剣になれるのだろう。キャリアじゅうぶんとは言え演技に対しても、歌に対しても、どんなにうがった目で見ても、ふたりのハートにくもりを探すことは不可能だ。
「一生懸命さ」というのはこういう姿を言うのだ、と「定義」にしたいくらいだ。
きっと専門家ならば演技にも歌・演奏にも、いろいろと未熟な点を指摘できるだろう。しかし、ふたりの想いの力が、それを超えて、青春や「好きなこと」を貫く意味を伝える、ちょっと甘酸っぱいけれど芯の通ったメッセージをまるごと届けてしまう。
うらやましくなるくらいの立ち位置だ。ふたりは、「ありがとうございます」と観客に向かってお礼を言う時、深く、長くおじぎをする。
うれしくて仕方がないから自然にそうなってしまう感じだ。自分たちが「好きなこと」「やりたいこと」を実現させてもらったことに感謝しているようでもある。その誠意が、ふたりの持ち味だ。
オフショットでも、ふたりの元気さは際立っていたけれど、ライブが終わって歓びを爆発させるふたりに「本物」を感じた。心を込めて「表現」したものだけが味わえる感覚にふたりはひたっていた。
こんな言い方はおかしいかもしれないが、DVD
を見て、ふたりを信じていよう、ふたりの「友情」を信じていよう、と思えた。
劇とライブという2本立ては、すごい企画でふたりの魅力をめいっぱいひき出してくれるけれど、いくらふたりが若くても、これを何日も続けるのは人間の限界を超えてしまう。
次回のツアーでは、ライブだけになっても回数を増やして、ふたりの何かを浄化するエネルギーをより多くの人と分かち合ってほしいと願う。
いま徹平は「医龍」で好演し、ウエンツは私が昔から好きな作品「ゲゲゲの鬼太郎」の鬼太郎役を(実写!)やることが決まった(楽しみだ!)。次長課長とのコラボ「雨にもマケズ」も絶好調である。
でもあえて無理な注文をしたい。WaT
としての活動にももう少し時間を割いて音楽活動も見せてほしい。ふたりがふたりいっしょにいるからこそ最も輝く瞬間が見られるから。