もはや NHK「紅白歌合戦」は、その選考基準を批判しても意味がほとんどない、つまり、多様化する音楽シーンにあって、すべての人が納得する「今年を代表する歌(アーティスト)」なんて決めること自体が不可能になってきているので、私は約4時間30分の年末特集スペシャルジョイント「ライブ」だと思って見ることにしている。
そうすれば「○○はなぜ出てない」とか「△△がなんで歌ってるの」なんてストレスフルなことを考えずに、めったに聴けない曲を聴いてみるチャンスだぐらいの、気楽な感じで楽しむことができる。悲しいことでもあるが「レコード大賞」同様、そうでもしなければやってられない。
そして2006年12月31日に改めて思ったのは、「紅白歌合戦」はナマ放送の「ライブ」なんだ、ということだ。つまりその日調子が今一つな人もいれば、絶好調の人もいる。CD
で聴くのとは違った「表現」を味わえるということだ。
例えば、いっしょに見ていたパートナーが、TOKIO 長瀬の「宙船」のヴォーカルは、どうしても曲を作った中島みゆきの歌唱と比べてしまうのでしっくり来ない、と言っていたのに、迫力がアップした彼の歌を聴いて「あれえ、うまくなってる。ちゃんと自分の歌になってるね」と言った。こんな「発見」をしながら見ていったわけだ。
そんな点から、「ライブ」として魅力を再認識したアーティストを少しあげると、まずは白組一番手の
w-inds.[ブギウギ66]である。
「レコード大賞」の方がより難しい飛び技に挑戦していたけれど、3人ともそのダンスは見事というしかなく、日本の音楽シーンでもトップレベルにあるとマジで思った。慶太のヴォーカルも、ソロ活動を経て一段とたくましくなり、ダンスと声とがお互いを引っ張り合って、高い境地へ導いている感があった。あれだけ動いても発声が安定しているのは並のことではない。カッコよかった。ライブにぜひ行きたい。
絢香[三日月]も、声といい歌い方といい、各賞をもらって行くうちに自信がついたのか、すばらしいステージだった。何よりも自分の持ち歌を大事に大事にしている様子が伝わってきて、とても気持ちが良かった。今年はもっともっとブレイクしてほしい。
Aqua
Timez[決意の朝に]も、飾らないスタイルで登場し、誠実に歌で何かを伝えようとしているのがほとばしりでていて、改めてじっくり聞き直して見ようと思わせた。「ライブ」はどれだけ自分の思いを歌にたくして伝えようとしているか、がもっとも大切なポイントだ。
アンジェラ・アキ[Home]は、彼女のすごさに今まで気づかなかったことを恥じるくらい、心にしみた。ピアノの弾き語りの中に自分の想いを、率直に投げ込んでいて、ぐいぐい引き込まれた。それも最初から全開にするのではなく、上手に出していき、聴く者の心にともした想いの「灯」を少しずつ、強く明るくしていくのだ。
こうして書いてみると、「ライブ」でアーティストの本物のちからが出る、とよく言われることに納得がいく。アンジェラ・アキは、その意味で大きなアピールの場を得た、ということになる。テノール歌手・秋川雅史の歌声[千の風になって]も知ることが出来てよかった。
「ライブ」では「存在感」というのも大事になる。「私」という人間は今まさにここにしかいない、他では見られない、という個性のオーラが出ていると、それだけで輝く。それを和田アキ子と
WaT に見た。
なんでその組み合わせになるのかと思うかもしれないが、途中の「みんなのうた」(NHK
の番組)コーナーで3人は「山口さんちのツトムくん」を歌った。こわい子を演じてわざと超豪快に歌う和田アキ子と、そのこわい子からの誘いをやっとのことで「あとで」と最後に断わるウエンツと徹平(その後和田アキ子が「つまんねぇな」とドスをきかせてすごんで座り込み
WaT が連れて去る最高に面白い展開)。この歌は
ものすごいインパクトがあった。
それを証明するかのように、和田アキ子の「Mother」は胸の奥のまたその奥まで彼女の声が届き、心を揺さぶられた。WaT
のあまりにも誠実な姿勢は、2度目の「紅白」でもしっかりキープされていた。内容や技量こそ違え、両者が現代に必要な歌を歌っていることに間違いはなかった。浜崎あゆみにも同様のものを感じた。
「ライブ」だからパフォーマンスも大事になる。美川憲一と小林幸子の派手な衣装合戦は、こんなムダ遣いをしていいのか、というところに目をつぶれば私たちを毎回魅了してくれる。ダンサー12人がステージ全面に広げる孔雀の羽(美川)、ステージ最高点で「火の鳥」になっての歌唱(小林)、衣装を着るだけで大変なのに歌もきっちり歌いこなす、プロの技だ。
DJ
OZMA も楽しかった。でもあの程度の「お遊び」(全裸に見える衣装)に怒って抗議をする人は、すぐにゲストを殴る司会者や、いじめを誘発しそうな「罰ゲーム」にこそ抗議のエネルギーを注ぐべきではないのか。
「ライブ」はやはり「作りたて」の曲の方が説得力を増す。長く歌い込まれた曲でももちろんより深く磨かれていくけれども、自己表現という点では、「新曲」の初々しさの魅力もたまらない。「新曲」ゆえに、まだおそるおそるのところもあるけれど、だからこそ純粋な気持ちが強く込められることだってある。
美川憲一対小林幸子にしても、美川が「さそり座の女2006」を歌い、小林が2006年に出したシングル「大江戸喧嘩花」を歌ったのだが、小林には「新曲」を歌う気迫が満ちあふれていたのに対し、美川はアレンジのせい(無理に新しくしようとしすぎ)もあるだろうけれどやや苦しい感じがした。
だから私は、昔のヒット曲を求める声も多いだろうし、その方が盛り上がるかもしれないけれど、できる限り出演アーティストには「新曲」を歌ってほしい。例えば、布施明の「イマジン」(ジョン・レノン)や森進一の「おふくろさん」(1971年のヒット)もよかったけれど、彼らの最新曲も聴いてみたかった。それにその方が、アーティストたちも、もっと出演してくれることになるのではないだろうか。誰だって「いま」の自分を見てほしいはずだから。
そして「ライブ」なのだから、紅白で勝ち負けを決める必要はあるのだろうか、という素朴な疑問はずっとついて回る。
そんな中で、仲間由紀恵の司会は2005年に比べて飛躍的にうまくなっていた! ちらりと歌手の準備ができているかを確認しつつトークをするほどの余裕があって機転も利き、落ち着きからか発音がはっきりしていて聴きやすい上に、出演者に対するリスペクトと温かさが話し方ににじみ出ていて、最高の司会だった。これで「恋のダウンロード」でも歌ってくれていたらマジでうれしかったんだけれど……。
それにしても痛切に思うのは、テレビの力はまだ大きい、といういうことだ。「紅白歌合戦」を見て、様々なアーティストを再認識する。そんな機会は日常のテレビ番組では非常に少ない。それどころか、出演者には「紅白」以上に「不透明」なハードルがあるから、限定的なアーティストしか見ることができない。
もちろん、その代表が
w-inds. であり、アイドルばかり聞いていると頭が痛くなるというわがパートナーも、テレビを見て彼らのパフォーマンスと歌唱力を評価していたくらいだから、テレビの力はあなどれない。
テレビ界は、音楽業界と奇妙な関係にあるわけだけれども、それを打破して多彩な音楽をしっかりきっちり紹介する番組を作ろう、という気骨ある制作者が出て来てほしいものだ。それがないと、テレビも音楽業界も「共倒れ」になるくらいの危機的状況なのだから。