フジテレビ系バラエティ番組「Viva Viva V6」スタッフが10月4日、神奈川県鎌倉市の海岸の撮影現場で、トラブルを起こした。
番組内の料理対決に負けた出演者が、罰ゲームとして海岸の清掃をするというシーンを撮影する時、わざわざスタッフが周辺からゴミを集めて来て撮影場所にまいたのだ。
それを目撃した、海岸清掃ボランティアに携わっている市民などがさっそく抗議をし、スタッフはその場で謝罪、収録を中断してゴミを再び集めて持ち帰り、鎌倉市役所にも報告した。
フジテレビは「過剰な演出があった」とおわびの声明を出し、スタッフに「厳重注意」をした。
あんまりな話である。
おかしい、と思う点が2つある。
まず、(誰かはわからないが)ゴミをまくという判断をした人間は、この行動がどういう意味を持つか考えなかったのだろうか。海岸を懸命にきれいにしようとしている人がいることを想像できなかったのだろうか。
そこには、テレビなら何をしてもかまわない、というおごりがある
次にこのゴミ拾いが「罰ゲーム」として行われたことである。何でも勝ち負けが強調され、「負け組」にはしんどい罰が与えられる、という発想がテレビに広がっているのは、ゲームだからと見過ごすことはできない。
テレビの「罰ゲーム」を真似した「いじめ」が起こっているという報告がある。人生いつも勝ち負けでことが進んでいくわけではない。勝ちとも負けとも言えないあいまいな領域はあるし、勝って損して負けて得することだってある。もっと人の生き方は複雑なのだ。
それにゴミをわざわざ集めて用意するくらいなら、ゴミのあるところへ行って拾えばいいではないか。わざわざ鎌倉まで行かなくてもゴミが拾えるところはたくさん都内にもある。
さらに、私はこの事件を知った時、そうした問題点とは別のことも頭に浮かんだ。新聞やネットニュースではあっさり「スタッフ」とひとくくりにしてあるが、それがことをあいまいにしている。
テレビの撮影は、雑誌の取材やラジオの収録に比べて破格の数の人間を必要とする。プロデューサー・ディレクターから、出演者、カメラマン、照明、技術、そして様々な雑用をこなす
AD(アシスタント・ディレクター)まで。多い時には10人を優に超える「スタッフ」が現場へ行く。
そのうちの誰がゴミを捨てるように指示したのか。それを明らかにしないと、事件の本質は見えてこない。
そのおおぜいの「スタッフ」全員が今回の行動をよしとしていたわけではないと思う。きっと「こんなことしていいのかな、大丈夫なのか」と考える者がいたはずだ。
とりわけ
AD は、テレビ業界に入ってまもない駆け出しがやっているので、逆に業界の「無感覚」に毒されていないから、命令するディレクターにひとこと言いたかったかもしれない。
しかし日本のテレビ業界は見事に上意下達の「体育会系」で、AD
が何か口を出そうものなら「百年早いよ」といわれてしまう体質がまだ色濃く残っている。AD は「使い走り」として、無理な注文でも必死でこなさなければ「出世」できない状態に置かれていて、低賃金の上に長時間のサービス残業を強いられている。下請制作会社の
AD であれば、仕事を失わないように「絶対服従」である。
つまり、この「スタッフ」の中に、ゴミ捨てをやめさせようと思った者がいても、最もエラい人間(たいていはディレクター)がやれ、と言ったらまず止められないだろう。
今回の事件には「スタッフ」のピラミッド構造も隠れている。テレビのゴーマンさをなくしていくには、「スタッフ」の自由度が不可欠であることに間違いはない。