平川地一丁目のカバー曲ばかりを集めたアルバム「歌い手を代えて」を聴き始める時、胸がかなりドキドキした。どう歌うか楽しみで仕方がなかった曲が、いきなり1曲目に置かれていたからだ。
曲が始まって、一瞬とまどった。ヴォーカル(直次郎=弟)が聞こえてきて、うなった。聴き終えて、驚いた。この曲にこんなアレンジや歌い方があったのか。想像を超える新感覚だった。
私を強力に支えた歌のひとつ「TRAIN-TRAIN」(ザ・ブルーハーツ)をジャズ風のアレンジで歌う。「この曲を聴くだけでもアルバムを買う価値がある」は月並みすぎるフレーズだが、今回は使ってしまいたくなる。
最初は、サックスやピアノも入ったジャジーな演奏で歌う、「おしゃれ」な「TRAIN-TRAIN」なんてありえない、と感じたのだが、直次郎は、原曲が持つパワーを押し殺したりはしていなかった。
あえて絶叫調を避け、落ち着いて歌っているように聞こえるが、次第に内なるエネルギーがあふれて来て、どんどん私のこころに満ちて行く。聴くほどに言葉が先鋭に研ぎ澄まされ、とがっていることがわかる。
直次郎の歌唱はしかし、微妙に優しいところがある。若さゆえの甘酸っぱさが、隠し味になっている。ちらりとかいま見られるメロウさが、ザ・ブルーハーツとは違う形で率直で胸がキュンとなる。そしてこれも自己表現だし「叫び」でもある。 8月8日のエネルギッシュなライブから、勝手に「TRAIN-TRAIN」をカバーするのなら、ザ・ブルーハーツ同様に、精気を全身に集めて、思いきり外にぶつけるだろう、と想像していた。
今はその予想が完全に外されたことがうれしい。「TRAIN-TRAIN」は、完全に平川地一丁目の「TRAIN-TRAIN」になっていた。確かにこのくらい変えなければ、アクが強いとも言える「TRAIN-TRAIN」を自分のものにできない。
この曲の強烈なポリシーも、現代に合わせて平川地一丁目が解釈して、イメージや想いを精いっぱいつぎ込んでいる。決して「TRAIN-TRAIN」発表時のテンションをなぞらえているわけではない。2006年の「TRAIN-TRAIN」が生まれ、冒険は成功した。
それにしても「カバー」アルバムのお手本のような名盤だ。時としてカバー曲でああることを忘れて聴いていることさえある。これは平川地一丁目(特に兄の龍之介)を中心とする編曲陣によるところも大きい。
それぞれの曲のもとのアレンジにこだわらず、けっこう大胆な音を混ぜている。12のアーティストそれぞれの世界をいったん引き取って消化して、しっかり平川地一丁目の世界として表現している。原曲を知っているなつかしさを感じるものの、ここにある世界は決して60・70・80年代ではない。
もともと今までに出た
CD シングルに入っていて、オリジナルアルバムには収録できなかった曲を集めたものだが、どの曲もきちんと平川地一丁目のものになっているので、まとめて聴いてもオリジナルアルバムにさえ感じる。 私たちがカラオケで他人の曲を歌うのとは違う。平川地一丁目なりの解釈を歌に込めて、「歌い手を代えて」歌うと、全く新しい魅力が加わるのだ。これは、彼らに、つまり「代わった」「歌い手」に、まさに「歌心」があるからに他ならない。
ここで改めてふたりの若さに驚く。高3と高1のデュオ。10年後に同じ歌を歌ったら、全く違う歌に変身しているかもしれない。今後の可能性を考えると恐るべき存在だ。 それにしても、まいった、この「TRAIN-TRAIN」にはまいった。
[補足]カバーした12アーティストは、ザ・ブルーハーツ、オフコース、浜田省吾、荒井由実、村下孝蔵(2曲)、山崎まさよし、吉田拓郎、白鳥英美子、はしだのりひことシューベルツ、山崎ハコ、五輪真弓。
これを平川地一丁目の世界にしてしまうんだからとんでもなくすごい。ちなみに曲順は最新のものから並んでおり、直次郎が声変りを経て、苦労して今のヴォーカルスタイルを身に付けるプロセスがわかって興味深い。その中でもイメージ豊かな「松山行フェリー」(村下孝蔵)と軽妙な「中華料理」(山崎まさよし)が出色、といっても全曲聞き応えじゅうぶんで、ベストは選べない。