▼平川地一丁目はやっぱりいい、はなはだしくいい
[2005年08月07日(日) ]

 

 どう書いていいか迷っていて、平川地一丁目の新しいアルバム『海風は時を越えて』について書くのが遅れた。というのは、どうしても自分の音楽のベースに、邦楽なら70年代のフォーク&ロック、洋楽な70年代のヒット・ポップスがあるからだ。

 14曲も平川地一丁目を聴いていると、感情としては自分の若い頃への「郷愁」とどうしても結びついてしまう。客観的には完全に20世紀の新生フォークロックになっているのに。

 だから、つい「背広姿のエライ人」的な曲をもっと作ってほしいなんて思ったりするわけだ。世の中に一石を投じてほしいなんて、ね。でも何とか冷静な感想を書いてみたい。

 まず、やっぱりアコースティックギターの温かさが彼らの音楽のベースになっていること。弾き方も音のはじけ方もとっても心地いい。

 そして次は直次郎のボーカル。言葉のひとつひとつにくっきりとした輪郭があるんだよね。軽めに歌っているような曲でも、しっかり私の心の中核まで届いてくる。

 歌詞ももちろんすごい。10代でこれだけの語彙を持ち、ことばの選び方が的確で「ありきたり」「ありがち」に決してならない感性は、本当に大事にしてほしい。

 とりわけ佐渡を強く連想させる曲のことばたちは、くっきりと歌の情景を浮かび上がらせてくれるから、絵画的な趣まで出てくる。シングルになった「十六度目の夏」はもちろん、「島を離れる夢を見て」「霞んだ山の向こう」などがそれに当たる。「いつもの通い道」は、それに加えて、アレンジもセンスがあって、メロディと歌詞とアレンジが一体になって佐渡の景色に溶けていっている感じだ。

 それからタイトルとコンセプトが優れている。確かに70年代フォークを継承してはいるのだけれど、きちんと現代の抒情を表現している証拠だ。「あかね色の空」「夏の終わりの蜃気楼」「夢見るジャンプ」……そして「はがれた夜」なんて題は、いったいどうやって付けられるのだろう。

 私は、平川地一丁目の音楽は、ふたりが佐渡で育ちそこで今も暮らしていることから生まれてくる気がしてならない。とすれば、これからの活動の仕方は難しくなるかもしれない。「マイペース」の維持、がカギだ。でも、聴いてこれだけ安らぐアルバムも少ない。貴重だ。

 

  《 05年7月13日平川地一丁目 06年8月10日平川地一丁目》