私の小学校時代は、班競争が取り入れられていました。クラスを5〜6人単位の複数の班に分けて、班ごとに勉強を競わせたりゲームを競わせたりするんですね。競争させることで子どもたちが伸びると信じられていたのです。
この班競争は、ちょうど私の小学校時代=60年代後半に、全国の小・中学校で流行っていました。今ではかなりすたれましたが、残っている学校もあります。
班競争といっても、いろんなパターンがあります。掃除、ベルマーク集め、読んだ本の数といった勉強を絡めないバージョン。もちろん勉強を絡めるバージョンもあります。それから、ただ競争に力点を置く場合もあるし、班の中での助け合いに力点を置く場合もあります。それらを組み合わせる場合もありました。
私の担任の班競争がどういうものだったかというと、単純に勉強で競わせるというパターンでした。例えば小テストをやりますよね。そうすると各班ごとに全問正解が○人、×1つが○人、×2つが○人……という形で競わせるわけです。
×1つを「1バツ」と言ってましたね。「1バツの人○人。2バツ人○人」と言いながら、それを点数計算して、黒板に書いてある各班の名前の横に数字を入れていくんです。名前だけはかわいくて、「りす」とか「こねずみ」とか、動物や花の名前が付いてました。
名前はかわいくても、やらせていることは競争なんですね。要は単純にテストの点数で生徒を班ごとに競わせるだけのもの。あとは、うるさくしていると減点。授業態度とテストの点数だけなんですね。
この班競争には、いろいろな問題や不公平が生じていましたが、教師のフォローはほとんどありませんでした。例えば、班の中にテストが全部バツだった子がいるとします。そうすると当然減点されますから、その班の成績も下がります。そこで成績の悪いメンバーがいじめられる、なんてことも起こりました。
その教員は、成績がふるわないためにいじめられる子どもへのフォローをしていませんでした。そして班競争の際には、気分屋の性格とえこひいきが露骨に出ました。例えば、騒いでいても、たまたま自分の機嫌がいいと減点しない。その教員が目をつけた子どもは、ちょっとおしゃべりをしただけで「はい、減点!」と言って減点をする。一方で、お気に入りの子が騒いでいても、あんまり減点しない。
そうしたことがジワジワと積み重なっていって、ある時、私の中で限界に達してしまいました。今でも自分の中に強烈に残っているんですが、小学校3年のある時、私はスッと手を挙げて、「先生! かるべくんの今の5点引きは不当です!」と言ったんですね。自分でもすごい子だなと思ったりしますけれども、教員はほとんど無反応でした。シカトですね。「関係ない。はい、授業戻って。進めます」という感じで、私の意見は軽く却下されてしまいました。
いきなり小学校3年で、私にはすごい壁になりました。先生が理不尽である、不公平である。同じように騒いでいても減点したりしなかったりする。なんかおかしい。えこひいきしないでほしい。公平にしてほしい。やはり子どもだから班競争で勝ちたいと思ってしまいます。負けてもいいやとはなかなか思えない。
その後も、何度か教員に「おかしい」ということを言いました。しかし、異を唱えても待っていたのは、「うるさいよ伊藤は、だまってなさい!」と怒られるか「ああ、わかったわかった、はい次ね」と軽い扱いをされるか、あるいは無視されるかでした。
こうなると、なす術がなくなってくるんですね。友だちは担任にあまり反抗するとヤバイなと思っていて、味方もいませんでした。
実は、私は父親の仕事の都合で小学校2年までに3回も転校していて、友だちの作り方を学習できないでいました。要するに友だち作るのが下手な子どもだったんです。だから、味方を作る方法も、その時はわからなかったんですね。結局私は、教師に対してなにも言わないのがベストなんだ、ということを学習しました。これが私が最初にぶつかった壁。小3〜小5の時の担任の対応でね。 小学校5年のクラス替えの時は「担任が変わったらどんなにいいだろう!」と、相当期待していました。ところがフタを開けてみると、同じ担任。当然、ものすごいショックを受け、あきらめの境地に達しました。
さらに悪いことは重なるもので、小学校4年の3学期にとてもショックなことが起こりました。その頃の学校は今と違い、小学校から5段階相対評価を採用していました。5段階相対評価というのは、生徒の成績を上から5・4・3・2・1と振り分けて付けていくものです。一応、1と5は7%、2と4が24%、3が38%と割り振られていますが、生徒の気持ちを配慮して2や1の割合は少なくしている学校が多かったのです。
しかし、ここには重大な欠点があります。5段階相対評価は、子どもの成績が統計学的に推計されたグラフ通りに必ず分布するという前提があって初めて成り立ちます。この推計はかなり大人数の集団でないとあてはまらないので、50人程度のクラスでは、これに当てはまらないような場合が山のようにあります。また、これでは全員が100点をとっても、5・4・3・2・1を付けなければなりません。こうなると、教師のえこひいきも当然入ってきます。
私は小学校4年の3学期に、5段階相対評価で体育で1をもらいました。1をもらう子どもは、50人のクラスで7%とすると、3.5人しかいないことになります。当時の新聞には、5段階相対評価を批判する記事などもよく載っていましたから、そこに書いてある数値を当てはめてなるべく1を付けないという情報を知れば、小学校4年の私でも計算できて、「自分は体育がクラスでビリなんだ……」と思ったんですね。これは子どもながらにものすごいショックでしたよ。小学校4年の3学期に体育で1を取って、トボトボと終業式の日に一人で校門から出て家に帰った、という自分の姿がかなりインパクトに残っていいます。
それが輪をかけて、私は学校に対して本当につまらないな、行きたくないな、と思うようになりました。結局、3年間同じだった担任のために、私は「正義感を発揮するのはよくないのかなぁ」と思うようになって、それを取り戻すまでにずいぶん時間がかかりました。
体育を除いた私の成績はまあまあ良かったので、それで補ってどうにか学校に行けるバランスが取れていたのだと思います。ただ成績を別にしても、学校自体はもうイヤでたまりませんでした。とにかくその担任の授業を一日中受けるわけですから、こんな苦痛なことはありません。中学校に早く行きたかったですね。「中学に入れば、科目ごとに先生が替わるのか。いいなあ」みたいなとも思っていました。