1950年代 |
このへんで生まれる。家にテレビが来たのは小学校に入った頃だった。 |
1960年代 |
NHKテレビの人形劇『ひょっこりひょうたん島』に熱中。もう一度何としても見たい→ビデオなどない→自分でメモするしかない、と5年間克明に記録。学校になじめなかった(子どもの意見が通らない)ことが、子どもたちが大活躍する同番組に入れ込むことを加速。 |
1970年代前半 |
『ひょうたん島』が終わった後に代わりに夢中になったのがヒットチャート。でも学校では、勉強していい成績をとらないと大変なことになるという強迫観念にとらわれ、友だちを作ったり思いっきり遊んだりすることができなかった(後に大後悔)。 |
1970年代後半 |
大学に入るや、自分が自分のやりたいことを何も考えなていかったことにショックを受け、さらに自分がゲイであることを受け入れることもできず、混乱と模索の日々。何と卒業に8年を要す。1972年から業界オリコンの購読スタート。 |
1980年代前半 |
社会に出る勇気がなく大学院に行くも、もちろん学問が合っているはずもなく、父の早逝に伴って中退して私立高校の非常勤講師に。ここで生徒と遊びまくり青春を少し取り戻す。しかし、校則の理不尽さや教員の暴力を告発する本を出して解雇される。 |
1980年代後半 |
やっと生涯のパートナーを得て、英語講師として予備校の基礎クラスで人気爆発、さらに某ラジオ局で放送作家の仕事も始める。深夜放送のサブパーソナリティもこなす。『ビルボード』のシングルチャート100位以内の曲をすべて1週間以内に集めるという趣味を開始、今も続く。 |
1990年代前半 |
原稿を書いて飯を食うスタイルを確立。現在まで30冊以上の本を出版。一方、同性愛者のためのソーシャルサービス活動(正確な情報提供、カウンセリング、電話相談、出会いの場の提供、ワークショップなど)も開始。音楽雑誌にレビューを書くようにもなる。『ひょうたん島』のリメイクにかつての「伊藤ノート」が活用されメディアで話題になり、同番組に関する著作も出す。 |
1990年代後半 |
人権・性・ひょうたん島、と多様なテーマで講演活動も盛んになる。3つの大学の非常勤講師に(現在も……給料めちゃ安!)。予備校での経験を生かした、わかりやすい英語の参考書も出す。 |
2001年から |
社会の保守化と不景気により、仕事量が減り、母親の介護も加わって、生活は毎年「綱渡り」になる。『ひょうたん島』がアンコール放送され、番組関連のプロジェクトにコーディネーターとしてかかわることが激増。 |
おまけ |
ここに書いた以外にも、様々な仕事を経験、恋愛も仕事もドラマティック。まだまだ夢はてんこ盛り。好奇心もおう盛。カラオケは1日歌っていてもレパートリー切れることなし。ネクタイをしないでここまで生きてこれたことを誇りに思っている。 |