やはり、初めて中学で英語を習い始めた時のインパクトというのは強烈なものです。全く発想や構造の違う言葉を習うわけですから、その時できた印象は、後々まで残って影響を与えることになります。
例えば、単語の意味も、最初に出てきた意味が頭の中に強力にインプットされますから、かなり後にその単語に別の意味合いがあることを知っても、どうしてもまず中学の最初に習った意味が頭に浮かんでくるので、なじめずに日本語に直すことに戸惑うことがよくあります。
“letter”は「文字」という意味が基本で、「文字の集まり」から「手紙」という意味が生まれました。でも、日本では間違いなく“letter”はまず「手紙」だと習うので、「文字」の意味で出てきた時(「何文字で書くの」など非常によく使います)に、なかなか「文字」という原義を思い出さず、迷ったり、そのあげくに誤って「手紙」と訳してしまったりします。
“but”もそのひとつです。えーっでも、こんな簡単な単語が? だって「しかし」でしょ、という人がけっこういると思います。ところが、英文を読んでいても、英語でコミュニケーションをしていても、“but”は、「しかし」に負けず劣らず「〜を除いて」「〜以外」という前置詞として登場することが多いのです。“Nobody
but her knew the fact.”(「彼女以外誰もその事実を知らなかった」)のように、「〜以外誰も(何も)」「〜以外みんな(すべて)」という形で本当によく出てきます。
実は、“but”も元来は、「〜を除いて」という意味の前置詞だけしかありませんでした。受験では前置詞の“but”は難しいから気をつけろ、と強調されますが、現実の英語では、前置詞が原点だし、日常生活の中では、子どもでもよく知っている当たり前の用法なのです。その前置詞の“but”が、「〜ということを除いて」→「〜ということがなければ」→「〜ということを別にしても」と、接続詞としても使われるようになり、さらに、「(前の文章や会話の内容)ということを別にしても」と文の最初に使われるようになってとうとう独立し、「しかし」「だが」が誕生したのです。
“He is poor,
but he is happy.”の“but”は、そのあとに前文の内容が省略されていて、“but[彼が貧しいこと]”つまり「彼が貧しいことを除けば[別にしても]」が元の意味になります。そこから、「彼は貧しい、しかし彼は幸せだ」→「彼は貧しいが幸せだ」という使い方ができるようになったわけです。
こう考えてくると、中学でもどこでも、最初に英語を習う時、どんな意味から入るかは、きわめて重大で、やさしそうだから、といったあいまいな理由で選んでいては、最終的に英語の理解を妨げることにさえなってしまいます。そういった点の検討が、日本の学校英語ではきわめて遅れています。“letter”は「文字」から始めるべきでしょうし、“but”もなるべく早く「〜を除いて」を出すべきだと考えます。学習者の立場を考えないで教科書が作られてきた歴史のつけが、今大きく回ってきているのです。
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