英語と日本語とでは、ずいぶんと発想が違います。その違いをたくさん知れば知るほど、人間の多様さを知るばかりではなく、英語学習にも大いに役立ち、英語への関心も増して楽しくなってきます。
「彼は戦争で死んだ」という情報を伝えたい時、「死ぬ」=“die”ですから、「簡単じゃん」とばかりに“He
died in the war.”と書いてしまいがちです。この文は文法的に間違いではありませんが、まず実際には使いません。“He
was killed in the war.”という方が一般的です。どうしてでしょう。
人が戦争におもむく時、いろいろな想いがあるとは思いますが、おおむね「できれば死にたくない」と考えるのではないでしょうか。さらに「殺したくない、殺されたくない」と考えるかもしれません。それが戦争を嫌う原点になるはずです。とすれば、死にたいと思って死ぬ人は少ないでしょう。あくまで、戦場で死ぬのは、自分の意志によるのではなく、不本意に「殺される」のです。
英語は、こうした発想から、戦死は単なる「死」ではなく「殺人」と考え、“killed”を使うのです。言葉を選ぶ作業には、大げさに言えば思想も現れていることになります。戦争をきわめてリアルに「殺し合い」だと見つめているわけです。もちろん、この表現からさらにどんな発想を生み出すかは、個々人によって変わってくると思いますが。
したがって、交通事故で亡くなる場合も“He
was killed in the traffic accident.”と、好きこのんで死んだのではないことを明示します。そうなると、病気やケガがもとで死ぬのも「殺される」のかなと発想は広がりますが、そのような、殺す人や物がイメージできないまたは曖昧な場合は“die”を使います。
ちなみに、日本語を使っていると、「殺す」という言葉には、けっこう恐いイメージがありますが、英語の“kill”は、もう少し客観的に事態を表すイメージがあります。だから、戦争や事故で人が死ぬ時に使えるのです。さらに“kill
time”なんて言い方もあります。どういう意味でしょう。
“kill”は、ある状態を「なくす」方向にはたらきかけることを表します。ですから、対象が人間なら、その存在を「なくす」わけです。“kill
time”は、余った時間を「なくす」んですね。したがって「時間をつぶす」となります。その他、勢いを弱めたり、提案を否決したり、テニスでスマッシュを決めたりする時に使われるというのも納得ですね。日本語だと大げさに感じるかもしれませんが、しんどい事(A)で「殺されそうな気分」の時にも、“A
is killing me.”「Aでつらい[疲れる]」という表現が多用されます。
こんな話を学校教育でも盛り込んで、英語への興味もかきたてたいものです。
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