窓辺 第12回「『気』を取り戻すために」
[静岡新聞 2007年9月19日 夕刊1面]

 

 最近「気」が気になっています。東京の渋谷などの繁華街へ行くと、何ともせわしい「気」があふれています。みんな気が立っているかのように急いで余裕なく歩いていて、店に入っても事務的な会話でさえ気短でとげとげしく感じるほどです。これが浅草などの下町へ行くと、道行く人や商店街の人と気持ち良く会話をするチャンスがありそうな穏やかな「気」がまだ残っています。

 電車の中の「気」は最悪で、親切はあだで返されそうで気が重くなりますし、マナーの悪い人を注意するには気を使わねばならない状態です。みんなイライラしていて、携帯をいじる人が多く、「気に障るから近づくな」という雰囲気の人もいて、気が散って落ち着きません。

 先日ある大きな駅前を久々に通りかかった時、以前とどうも違う「気」を感じて周囲を見渡しました。気が付くと、駅前商店街でシャッターを下ろして営業していない店が、1年と少しで倍に増えていたのです。活気がぐんと減っていて、とても寂しい気分になりました。

 若者が自分に合った仕事を見つける気合いを失っています。職場でも学校でも家庭でも地域でもメディアでも「いじめ」があるのが当たり前になってしまい、沈んだ気分を晴らすターゲットが常に探されています。年金や保険料を払う気にならないほど、病気をしたり年を取ったりしても安心して暮らせるしくみがありません。

 いま至るところで人が人とかかわる力が失われています。気が合う人、気が置けない人、気が利く人を見つけるのは至難の業で、「元気」や「助け合い」という言葉も死語になったかのようです。私たちは気を取り直して、温かく優しい「気」を再生すると同時に、「気」を悪くしているものの正体を見極めなければなりません。