窓辺 第11回「英語理解のための『文法』を」
[静岡新聞 2007年9月12日 夕刊1面]

 

 学校英語は細かい文法ばかりやっていて実用的でないと言われ続け、それに対応して会話を取り入れることに走る、というのが英語教育の実情です。文科省が8月27日に提示した、高校英語を「コミュニケーション英語」に統合する案もその流れにあります。

 しかし私は、それ以前に根本的に英語を学ぶためのシステムに問題があると感じています。例えば中学校で習う現在完了形の説明はこうです。「have+過去分詞を現在完了と言い、完了・経験・継続・結果の意味を持つ」。そして「〜してしまった」「〜したことがある」「ずっと〜している」などと訳し分けさせられます。これでわかりますか? 英語を母国語とする人はこんな定義と分類をしながら使っているはずはありません。

 「have」は「持っている」だけではなく兄弟姉妹がいる時にも使うように、何かの存在を身近に感じる時に使います。だから現在完了形はすべて、過去のできごとを今まさに身近に感じている様を表します。その心理をつかめば、上の分類から外れる場合に出会っても柔軟に言いたいことをくみ取れます。表現を完ぺきに分類することなど不可能だし、細かく分類すればするほど木を見て森が見えなくなり、英語嫌いが増産されます。前置詞や冠詞の意味などその代表例でしょう。

 「on」を辞書で引くと30近く「訳」が書いてありますが、「くっいている」と感じた時に使うと知っていれば「ポスターが壁に貼ってある」「人に頼る」の「壁に」や「人に」が「on」になることを想像できます。

 人間の感じ方や発想・心理にまで踏み込んだ「文法」がない、私はそれが学校英語の根本的な欠点だと思います。こんな理解の仕方を広めようと私は、個人指導や塾・予備校で奮闘する毎日です。