窓辺 第7回「英語教育に『素朴な疑問』を」
[静岡新聞 2007年8月15日 夕刊1面]

 

 

 学校などで英語を学んでいる時「言葉なんだからそのまま暗記しなさい」と言われたことが何度もあると思います。しかし、英語と日本語とでは、世界をどう見るかも、それをどう表現するかもかなり異なっています。そんな文化的背景を抜きにして、例文や場面別の会話表現だけ丸覚えしても、英語を読み・書き・話せるようにはなりません。

 子どもたちは初め素直に素朴な疑問を英語の教師にぶつけます。「どうして3人称単数が主語になる現在形にはs が付くの?」「なぜ Do を付けると疑問文になるの?」「a とtheはどこが違うの?」……。私もそうでした。でもたいていは「そういうものだから」と説明されないまま、語学は記憶力だけが勝負なんだとあきらめていきます。

 私は予備校講師時代、そんな質問を基礎クラスでたくさん浴び、自分も昔から考えていたことだったので調べてみると、みんなその理由がきちんと存在しているのです。日本語のしくみと比べながら話すと生徒さんたちはとても興味深く聴いていました。

 一例をあげます。英語では老衰や病気で死ぬ時は「die」を使います。ところが交通事故や戦争で死ぬ時はほとんど「be killed」(殺される)と言います。病気が人間に付きものだと考えているのに対して、交通事故や戦争で死ぬのは自然に反し「理不尽」(人間の手で防げる)なので、両者をきっぱりと区別します。ここから私たちの生活や社会を考えていくきっかけも生れます。

 英語教育の中にこうした「素朴な疑問」をどんどん取り入れていくことが、自分たちと違う文化を持つ人を理解し、「なぜ」「何のために」という大事な発想を失わないようにするためにも不可欠なのです。