関西テレビ系「発掘! あるある大事典?」が1月7日に納豆のダイエット効果を特集した。しかしその実験結果等の大半がねつ造されていることが判明、1月23日、関西テレビは番組の放送打ち切りを決めるまでの事態になった。
この原稿が世に出る3月1日に、この事件はどのくらい読者の記憶に残っているだろうか。再びテレビによってつくられたブームに乗って、ある食品がブームになっていたら恐ろしい。この事件を機にテレビとのつき合い方を真剣に考えないと、各番組に少しだけ政治的エッセンスを入れるだけで、私たちが完全にテレビに洗脳されてしまう時代が来るだろう。
テレビを利用しようとする勢力やテレビに躍らされる視聴者もさることながら、今回もっとも心に留めておくべきことは、こうした「ねつ造」の原因がテレビ局の番組制作システムにもあることだ。
いまほとんどのテレビ番組は、その骨格作りを下請けの制作会社にまかせている。制作会社にもヒエラルキーがあり、大きな制作会社からさらに小さな制作会社に仕事が委ねられる。
今回の事件でも、納豆の実験を任せられた会社は、期限までに明快な結果を出せなかった。しかし「わかりませんでした」と上申することはできない。残り時間で代わりの題材を取材することは不可能だし(こうした短時間取材にも問題がある)、検証不能だといえばもう二度と仕事を回してもらえないからだ。
仮にねつ造にならないぎりぎりのところでうまくまとめたとしても、テレビ局のプロデュサーなどに「インパクトがない」と言われれば、そこに虚飾を付けざるを得ない。
このテレビ局のエライさんたちは、現場の苦労など知らないことも多く、理不尽な要求を平気で押し付けてくる。それを受け入れなければ、契約をその後しなければいい。代わりの会社はいくらでもあるから。製作費を減らすといういやがらせも自在だ。こうして局側はどんどんごう慢になっていく。
一方、制作会社の方は24時間365日、テレビ局の言う通りに番組を作るために、自分の身を犠牲にして働き続ける。しかし、実際に番組を作れるのはまだましだという声もある。番組制作に必要な技術や照明などの裏方さんたち、そして様々な雑用係も制作会社から派遣されることが多い。こちらもテレビ局の社員にこき使われ、疲労の極に達して身体か心を壊し、夢破れて辞めていくこともある。
これが「文化」を担う現場の姿だ。昨年制作会社に就職した知り合いの大学生の言葉を(具体的に載せられないのが残念だけれど)結びにしたい。「テレビの世界は最悪でした。こんな嘘で作られた世界だとは、思いもしませんでした。そして、こんなにも奴隷的な扱いを受けるとは」。