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受験道6 私の「受験勉強」 大学編 その1

 私は、きちんと時間をかけて理解して、知識を自分のものとして定着させる、という過程は最小限にとどめ(全くないと暗記もできません)、集中力で直前数ヶ月に行った丸暗記で、東京大学理科1類に現役合格しました。ホッとする間もなく、私は、始まった授業の中でも、数学と理科関係の科目に全くついていけないことにがく然とします。

 わからないのです。開成中学に入学した時にも似た感覚を覚えましたが、あの時と違って、試験対策をどうしたらいいのかさえ想像がつかないくらい、高校から飛躍した概念や発想が出てきて、とまどいまくったのでした。

 ここも丸暗記で乗り切ってしまえ、とも考えましたが、それは2つの点で無理でした。まず、その意欲がわかないのです。集中して丸暗記するには、かなりなエネルギーが要ります。開成時代それを可能にしたのは、クラストップを6年間維持するという記録に挑戦するこだわりと、東大合格にもつながるという目標と、そしてささやかながら、開成学園が成績優秀者に出していた賞(平均90点以上で特別優等賞、学年トップにも賞が出て、それぞれに図書券が付きました)という「ニンジン」でした。こうした動機を全く失っては、やる気が出なくて当然でしょう。私は、とても危ないものによりかかって「勉強」していたのです。

 さらに、いつまで丸暗記を続けなければいけないのか、という不安が私を襲いました。もしこのまま理科系の勉強を続けて理科系の仕事につくとしたら、一生丸暗記で切り抜けていくのか。今までは、開成卒業までという期限付きだからこそ、考えられない集中力や禁欲などの生活管理ができていたのです。私は、ここへ来て初めて、ただ東大に受からねば、という条件だけで理科1類を選んだことに後悔し始めたのです。

 不安は、それだけにとどまりませんでした。私が入学した時代は、70年代前半です。学園闘争が学生側のほぼ敗北に終わりつつあった頃でしたけれども、まだ、政治的なことや社会問題を話し合おうという雰囲気は残っていました。ここでもまた私はショックを受けます。「安保(日米安全保障条約)をどう思う?」と訊かれても、頭になーんにも浮かばないのです。日本史で、安保の締結の年などは暗記していても、安保が日本の社会にどういう影響を与えているかなんてことは考えたことがありませんでした。いや、そもそも歴史と自分の生き方とは全くつながっていなくて、ベトナム戦争も日本国内の基地問題や公害問題も全く「他人事」でした。自分の「勉強」の仕方が、もしかして根本的に間違っていたのではないか、と考えるようになりました。

 まだまだ不安は続きました。開成時代は、テスト&受験勉強を最優先していても、そこそこ生徒会の役員をやったり、何よりも運動会に協力的であったりすれば、なれ合いの人間関係に浸っていることくらいはできました。ずっとクラスのトップであるということは、テストの点数が知らず知らずのうちに各自の価値観にしみ込んでいく開成の中では、敬して遠ざけられることはあっても、「仲間外れ」にはされませんでした。ところが、成績という背景がなくなり、「素」の自分で友だちを作ろうとしてもうまく行かないのです。

 大学のクラスの中で、私は、どうしても自己表現がうまくできませんでした。けっこう自分を持っているクラスメートの中で、自分のとりえが見つからないし、コミュニケーションの仕方も下手だし、不安だらけなのに友だちができないままでした。私は、学生相談所にも行ったりするほどでしたが、そこにいたカウンセラーは「何甘ったれたこと言ってんだ」と言わんばかりで、すごすごと帰るしかありませんでした。

 そんな中でわずかに関心を持ったのが、社会学や教育学と言った学問でした。私は、心の中でこの部分を拡大できるだけ拡大して、自分の本当にやりたいことは、これだったんだ、と思うようにしました。そして私は、そこから文科3類(人文科学と一部の社会科学進学課程)を再受験してやり直す、というすごい行動方針を打ち出します。暑い夏の頃でした。

 秋から私は大学の授業をさぼり、予備校にもぐりで通い、再び「受験勉強」という目標のある世界へと入っていき、あっという間に心の安定を得ました。目標もある、自分の得意な暗記術がより洗練された形で使える、文系なら入学後も将来も「わからなく」なる恐怖はない、私にとってはいいことづくめでした。私は、実はそれでは解決できないはずの人間関係や自分の視野の狭さや生き方について考えることをあっさり封印してしまいます。

 もちろん、翌年文科3類に合格しても、私が本質的に抱える問題は何も解決していませんでした。

[つづく]

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