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受験道5 私の「受験勉強」 中高編 その3

 私が開成中学・高校時代にやっていた、集中力にものを言わせて試験範囲をとにかく網羅的に暗記する勉強法は、何とか開成6年間は通用し、クラスでトップを続けることができました。そのトップ記録を続けたいという動機は、意志の力をさらに増大させました。しかし、高校に進学して、試験範囲のない「模擬試験」(当時は年間、高1が3回、高2が4回、高3が5回)が始まると様相が変わってきます。

 私は、模擬試験では、なかなかトップをとれないどころか、10〜20位台になることもしばしばでした。この理由は極めて簡単で、私の学習法が「付け焼き刃」(と言ってもかなりの切れ味でしたが)的なもので、どんなに詰め込んでも、本質的な理解を伴っていないと、そして、知識がきちんと定着していないと、応用を試される模試では結果を出せないのです。

 すでに私は、中学に入学してから2年間くらいのことを忘れかけていました。その頃は、「なぜ」を大事にして、怒られるから教員に質問はしなかったものの、自分で参考書などで調べて「納得」してから暗記していました。ですが、学年が進んで全ての科目でそれをやっていると追いつけないこと、「とにかく覚えて」しまった方がラクなことから、理解と定着がおろそかになっていたのです。

 当時、私はけっこうあせっていたことを覚えています。クラストップを維持することもさることながら、東大に入るという目標を考えると、要はレベルの高い模擬試験といっしょなわけですから、合格できるのかどうか、不安になってきました。ちなみに、高1の時には、開成コミュニティの影響で、日本で最も有名な東大へ行ってみたいし、行かねば自分の人生はないと思い詰めていたし、周囲の期待にも応えねばとけなげに思っていたし、東大へ行くことを疑う余地はありませんでした。

 このあたりから、私の進路選択はややこしくなってきます。自分のやりたいことなど考える余裕のないまま高校まで突っ走ってきました。いや、正確には、自分の内面が空っぽなことを見つめるのが恐かったから、余裕を作ろうとしないまま暗記勉強をしてきたのです。ですから、開成中学に合格した時、これでしばらく、のんびり楽しく生活できるんだ、などと漠然と思っていたように、東大に入ってしまいさえすれば、「バラ色」とまで行かなくても、楽しくキャンパスライフを送れるのだろうから、じっくり人生でも考えればいいや、などと考えていたことは確実です。

 ということは、とにかく東大に入ることを考えねばなりません。クラストップの維持は、すでに自分の方法論が確立しているので、ほころびが見えてきていても、何とか卒業まで持つだろう、しかし東大はそう簡単ではない、と思い始めたのです。そんな高校2年の時、担任だった教員Mが、私に「東京大学理科3類」(医学部進学課程)を受験しろと勧め始めます。この攻勢は、高校3年になると激しさを増し(開成では高2・高3と担任は変わらないシステム)、「おまえは医者に向いている」とほとんど根拠もあげずに迫ってきます。進路は息子任せにしていた両親にまで「大丈夫、伊藤はきっと医者になりますから」などと予言までするほどでした。

 私は2つの理由で、担任の勧めを拒否しました。もともと血を見ただけで卒倒しそうになるくらいの性格が医者に向いているとはとても思えなかったこと、そして、東大で最も合格が難しい「理科3類」を受けるなんて冒険はありえなかったこと。付け加えれば、すでに「伊藤悟」の開成内での評価も安定しており、この点で担任に逆らっても不利なことはなかったことも理由になりました。

 高校2年の終わり頃、私は迷っていました。何となく文科系の勉強をしたい気はする。しかし、何よりもまず東大合格が最優先だとすると、頼るべきものは自分の得意不得意と偏差値(まだ普及し始めたばかりで今ほど厳密ではありませんでしたが)です。得意科目は、現代国語と数学。苦手は、暗記だけで何とかなる極致にある科目すなわち社会科(覚えてもすぐ忘れてしまうことを自覚していました)。東大で当時偏差値が最も低い、つまり入りやすいところは「理科1類」(工学部・一部の理学部進学課程)……答えは明らかでした。私は、高校3年1年間のプログラムを綿密にたて、「理科1類」を目指すことにしました。

 とにかく東大合格というプレッシャーは日に日に強くなっていきました。最優先にそればかり考えていると、とんでもないことが起こります。高3の何回目かの模擬試験の日の朝、やや遅刻気味だった私は、焦り気味に階段を上って教室へ向かいました。開始時刻には余裕で間に合ったのですが、私は、模試前に机に向かって落ち着くための「儀式」をする(息を整える、ノートを眺めて気を落ち着ける、など)時間が必要でした。階段を上り切って曲がろうとした時、私はそこにあった消火器に足をひっかけ、倒れた消火器から泡がどくどくと出始めてしまったのです。

 私は、あたりにたまたま誰もいなかったのを見て取ると、シカトして教室へ入りました。後で奇特な生徒が片づけてくれていたようです。そこまでして東大に入らなければならなかった私を待っていたものは、もちろん「バラ色」の日々ではなかったのです。

[次回・大学編につづく]

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