■書評
季刊民族学102号
・恋愛感情で紡がれたパートナーシップの軌跡
アメリカ人類学の父フランツ・ボアズに師事し、『文化の型』で文化様式論を唱え、日本論『菊と刀』で知られるルース・ベネディクト。同じくボアズに学び、果敢なフィールドワークの成果をもとに、「文化とパーソナリティ」学派の基盤を創ったマーガレット・ミード。
はじめてふたりが出会ったのは、1922年のことである。ベネディクトがバーナード大学ボアズ研究室の助手、ミードが15歳年下の学生としてであった。たがいに惹かれ合ったふたりは、まもなく協同研究をはじめる。共著こそないが、恋愛感情をともなう親密な交友は、ベネディクトが没する1948年まで続いた。
本書は、こうした四半世紀にわたるふたりの恋愛関係と協同研究を、手紙、日記、その他の資料から描きだした評伝である。
ふたりの性格は対照的だ。ベネディクトは、夢想家で内省的で、自分が「逸脱社」であることを自覚しながら、感情を心の内奥へ押し込もうとする。いっぽう、ミードは、社交的で楽観的で、常に変化を求めて奔放に行動する。サモア、ニューギニア、パリと、フィールドワークも活発だ。が、ミードもベネディクト同様、自身の同性愛指向を気に病み、不安定な精神と絶えず格闘していたのである。
同じ苦悩と感情を共有する最良のパートナーシップが、セクシュアリティや女性性の問題に直面しながら、学問世界の閉鎖性、男性研究者からの中傷など、さまざまな社会的制約を乗り越え、人類学にたしかな足跡を残していく過程は、示唆に富んだドラマとなっている。
登場人物も多彩だ。E.サピア、マリノフスキー、ラドクリフ=ブラウンなど同時代の人類学者のほか、心理学者E.エリクソンや「原爆の父」オッペンハイマーなどとの交友も興味深い。
同じ同性愛指向を持つものとして、著者ヒラリー・ラプスリーと翻訳者の伊藤悟の、ミードとベネディクトの生きざまに向けるまなざしは、真摯で温かく、訳文も心地よい。(大)
■朝日新聞 読書欄(02/11/03)
11月3日付朝日新聞読書欄のトップに、『マーガレット・ミードとルース・ベネディクト』の書評が取り上げられました。評者はノンフィクションライターの与那原恵さんで、まずこの本を「ふたりの刺激的な関係性に焦点をあて、それぞれの創造的な研究を追ったものだ」と紹介してくれています。そして、ふたりの恋愛について述べ、「ふたりは、葛藤しつつも互いの個性の違いを認め、相手を独占しようとはせず、その姿勢は研究にも貫かれている」とまとめています。後半は、文化人類学へのふたりの貢献を解説し、植民地主義や人種差別を鋭く批判して、異文化間の理解を深めることと文化の「差異」そのものを受け入れることが、彼女たちの研究の核心だったと指摘します。さらに、ふたりの恋愛関係を通して、文化的に「逸脱」とされたものを尊重し、人間の寛容さを説く視点が生まれた、と明快に述べられています。最後に「『差異』をまっすぐに見つめ、個人と文化の多様性と広がりを愛した」ふたりの女性の苦悩に満ちた恋愛が、「今日の文化人類学の土台となって花開いた」と結んでいます。
■産経新聞 書評(02/08/11)
卓抜な日本研究『菊と刀』で知られるアメリカの女性文化人類学者ルース・ベネディクト。アメリカ文化人類学会長などを務め、「女性解放運動の祖母のような存在」ともいわれたマーガレット・ミード。ともに二十世紀前半を代表する文化人類学者だ。
二人が最初に出会ったのは1922年のこと。ニューヨークのバーナード大学でルースが教師、マーガレットが15歳年下の学生としてであった。「あらゆる文化に優劣はない」とする、今でいう文化相対主義的な文化人類学の立場「文化とパーソナリティ学派」を、以後互いに学問的影響を与え合いながら築いていく。
本書はそうした二人の「女性同士の恋愛」を、手紙その他の資料を用いながら描いていく。
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